線対象の世界

線対象の世界

セカイは線対称です。

僕らは、相手を愛する時、同じだけの深さで、自分を愛します。
相手を批判する時、同じだけの厳しさで、自分を否定し、
相手を無視する時、同じだけの冷たさで、自分を無視している。

人を愛するという経験は、
自分の中にある美しい部分を、相手の中に見つけてそれを愛するという経験です。
人を憎むという経験は、
自分の中の、「ある部分」が嫌いで、否定したくて、
相手の中にある「その部分」を、見つけて、否定するという経験です。

僕らの感情は、僕らの言葉は、僕らの行動は、
いつも、外と内、自分と相手、その両方に向かって、
同じだけの深さで、同じだけの力で、伝わっていきます。

それは、いつだって、双方向の「やじるし」です。

だから、人を愛する時、僕らは同じだけ、自分を愛することができる。
人を抱きしめる時、僕らは、自分を抱きしめている。
人を殴ると、自分が痛いし、傷つけた方も、やっぱり苦しい。

僕らは、いつも、線対称のセカイを生きています。

だから、自分を大切にすることと、相手を大切にすることは、
常に、同時に起こります。

従って、「自己犠牲によって、相手を幸せにする」というのは、原理的に、できないんですね。
それは、必ず、「相手の何かを犠牲にする」という帰結を生みます。

「必ず」、です。

だから、僕らは、自分の幸せについて、責任を負うんです。
それをしっかりと、負い続け、本当の幸せを見つける旅路で、
きっと、「同じだけ」誰かの本当の幸せを、作ることができるのですから。