酸っぱいブドウの木の下で(2)

酸っぱいブドウの木の下で(2)

前項では、ルサンチマンという心の仕組みを見てきました。
後編では、「ルサンチマンからいかに自分を解放するか」をテーマに書いていきます。

「ブドウを食べたい」をこじらせたキツネくん、
彼は、自分が決めた「ブドウは食べてはダメ」ルールのせいで、
一生、ブドウの恩恵から遠のくことになります。

しかし、本当は「食べたい」わけですから、
そんな自分の心を見ないために必死の努力を始めます。
すなわち、いつもブドウの木の下に陣取って、
ブドウを食べている他の動物達を哀れんだり、説教したりと
大変ストレスフルな日々を送るわけです。

彼が、この「ブドウ監視人」という役務から、自分を解放できる可能性は、たった一つです。
「食べたい」という願望を認めるってことです。
自分の欲望に正直になるってことです。

そうすれば、「誰かに取ってもらう」とか、「取る努力」をするとか、
いずれにせよ、動き出せる。
それをしない限り、彼はブドウの木の下に、自分を幽閉し続けることになるわけです。


さて、この自分で作ってしまった檻の中から自分を解放する第一歩として
「自分は、本質的な欲望から行動しているか。ルサンチマンから行動しているか」
を知ることは、とても重要なんですね。

さて、ここで、最初の問いに(ようやく)戻ってきました。
「自分は、本当にやりたいコト、やっているのか。それとも、反発から、それをやっているのか。」
その答えを知る鍵は、ルサンチマンの有無にあります。

ルサンチマン・チェックの最も簡単な方法は
「自分と正反対の生き方をしている人との出会い」によるモノでしょう。
自分が、夢を追っているなら、日常を懸命に行きている人。
自分が目の前の仕事に一生懸命になっているなら、夢追い人。

もし、自分の方が正しいとか、相手は間違っているとか、すごく嫌だ・・・とか
ネガティブな感情が湧いてきたなら、自分の中でルサンチマンが機能しています。
「感情」は、最もわかりやすいメッセンジャーです。

例えば、先日、駅のホームで、電車の遅延を駅員さんに詰め寄っている人がいて
僕は辟易しました。そして、あんな風にはなるまい!と思いました。
でも、実は、そんな風に「自分の感情をそのまま表に出すこと」ができていない自分、
それを「いけないこと」だと信じている自分がいるからこそ、
その人に、ネガティブな感情を持ったわけです。

実は、僕は、ホントは、「あんな風」でありたかったんですね。
「自分の感情を躊躇せずにぶつけることが、できない」から「感情をぶつけるのは『いけない』」
という自分ルールを作ったんです。まさに、ルサンチマンが起動していたわけです。

この様に、自分の中にネガティブな感覚を刻んでいく人、
自分と意見を異にする人、自分と相容れない生き方をしている人、
そんな人達こそ、自分の心の中、自分の欲望、
自分の持っている観念や価値観を見せてくれる存在だということなんですね。

さて、もし、自分がルサンチマンに陥っていることがわかっても
がっかりする必要は、一切ありません。
むしろ、それは願ってもいないチャンスです。
だって、それは、「自分を止めているブレーキ」の「発見」なんですから!

ブレーキがわかったら、あとは、解放すればいい。
・自分はこんな欲望があるんだ。
・自分は、こんなコトが正しいと思ってるんだ
・自分は、こんなコトを自分に禁止しているんだ

まず、それを素直に、認めることです。
自分がありたい自分像とは、真逆なことも多いので、ちょーっと残念ではあるけど
スタートラインは、ここ。

そこから、現実は変わっていきます。
ブドウを食べている人を見つけては、対応をする必要もなくなります。
ブドウの木の下に別れを告げて、好きな場所に出かけていくことができます。

さて、ダンサーの話に戻りましょう。
彼は、いわゆる「普通の人生」を送っている人に、反発し、軽蔑している自分を見つけ、
さらにその奥に、「定職に付き、真面目に生きること」が「本当は正しい」と
思っている自分を発見しました。
すると、不意に、そんなコト考える必要もないんだな・・・そんな納得感を持てたそうです。
そして、踊りが本当に大好きな自分を、もう一度発見したそうです!
自分の中のルサンチマンに気がつくコトから、それを解消する、すばらしい事例ですよね。

長くなりましたが、ルサンチマンの解消は、
自分の中にある矛盾を統合していくことにつながります。
心の分裂を統合していくということですね。
その中で、知らない自分、もしかしたら、ちょっと見たくない自分に出会うかもしれませんが
それも、愛しい自分の一部です。
やさしく受け入れていきましょう。

最も近くて最も遠い、新しい自分との出会いに祝福を!
そして、賢人ニーチェに、改めて敬意を!

長い文章を読んでくれて、みんなありがとう。