人生とは、真理を学ぶ旅路

豊かになるため、幸せになるため、夢を実現するためのノウハウが巷に溢れています。確かに、豊かで、幸せで、自由なハッピーライフの実現は、人生の大きな目的であろうと思います。しかし、僕は、人生とは本当に「それだけのモノ」なのだろうか?と感じてきました。 僕にとって人生とは、真理を学ぶ旅路です。 生きるとは何か、愛とは何か、善いとは何か? 自分はなぜ生きていて、人はなぜ存在しているのか? 自分が生きる目的 […]

倫理と意志 〜罪と向き合うために〜

最も、深い心のブロックのひとつが、罪の意識、すなわち罪悪感です。心の深部にある罪の意識は、自らが幸せになることを、禁止しています。罪悪感をいかにして、解放していくのか・・・そのためには、まず向き合うことです。 まず、そもそも、「悪」とは何か、「罪」とは何かについて、考えてみましょう。それは、「善・悪」を定義することに他なりません。まず、結論から書いてしまいます。 善とは、・自らの行為の責任を、引き […]

信頼とは、一つの顔を愛すること

僕は、無意識に、信頼とは「相手の全てを知ること」だと思っていました。相手の全ての側面を、全ての気持ちを、全ての過去を理解すること。それが、信頼につながるのだと。 でも、それは、信頼ではなく、所有でしかない。所有することによる、安心でしかない。最近、ようやく、それに気がつきました。 信頼は、時間をかけて育む・・・そう思う人もいるでしょうし、多くの場合、そうなのかもしれません。しかし、出会った途端、相 […]

流れのままに、終わりのままに

僕らは、「状況」に身を置いていると、その「状況」や「その中に居る自分」を俯瞰的に見ることができません。 その状況の一歩外に出ると、はじめて、その状況を外から眺め、その素晴らしさや、学びを得ることができる。だから、俯瞰的に見ましょう・・・という話ではありません。その日は、必要なタイミングでやってきます。やってきてしまう。 ある日、俯瞰的に「自分のいる場所」を眺める日がくる。そんな風に眺めている自分に […]

家族のテーマ

家族というのは、誰にとっても特別な存在です。一緒に居て安心する、遠慮せずに話ができる気の置けない関係・・・でも、多くの場合、それだけではありません。 愛おしくて、恋しくて、暖かい。同時に、うっとおしくて、苦しくて、許せない。家族とは、とてもとても複雑なものです。 家族が、複雑で、相反する感情の母体となる理由は、そこに自分の人生が「潜在」しているからです。 僕らの人生で起きたコト、テーマ、課題や悩み […]

支配的な関係を、支援的な関係に変える

2013年6月に書いた文章。思えば、この夏から本当の探求の旅が始まった。もう一度、自分のこと、自分の作ってきた関係性、自分の心のこと、毎日毎日考え、言葉にし、記録していた日々。高田馬場の日の当たらないマンションの一室で、暮らしていたあの日々のこと、あの美しい日々のことを、僕は昨日のことのように思い出す(2021年12月 記) + + + ここのところ、色々な出会いや、きっかけから新しい風景が見えて […]

善意の支配を受けたら

前回、「応援すること」というテーマについて書きました。応援とは、「求められた時に、選択肢を示すこと」そして、「どんな選択をしても、あなたを肯定する」というメッセージを贈ること僕は、そんな風に考えています。 では、そうではなく、求めてもいないのに、相手から「◯◯すべきだ」「◯◯しなさい」という指示を受けた時、つまり「善意の支配」を受けた時、僕らは、どう振る舞えば良いのでしょう。 時に、相手の気持ち、 […]

支援的な関係

人を応援すること、人をサポートすることそれは、その人が、「その人の決めた幸せを、その人の決めた方法で手にすること」を支持することです。それは、時に、「許容」に近い。 ともすると、僕らは、相手に「相手が、自分(僕)の決めた幸せを、自分(僕)の決めた方歩で手にすること」を期待します。 自分の方が、良く知っている、自分の方が、経験がある。だから、「こうした方がいい」「こうすべきだ」「こうなったほうがいい […]

酸っぱいブドウの木の下で(2)

前項では、ルサンチマンという心の仕組みを見てきました。後編では、「ルサンチマンからいかに自分を解放するか」をテーマに書いていきます。 「ブドウを食べたい」をこじらせたキツネくん、彼は、自分が決めた「ブドウは食べてはダメ」ルールのせいで、一生、ブドウの恩恵から遠のくことになります。 しかし、本当は「食べたい」わけですから、そんな自分の心を見ないために必死の努力を始めます。すなわち、いつもブドウの木の […]

酸っぱいブドウの木の下で(1)

本当に、自分はやりたいコトをやっているだろうか。誰しも、そんな感覚を持ったことがあるのではないでしょうか。 先日、こんな話を聞きました。彼は、舞台ダンサー。ある日、怪我をして、ベッドで寝ている間にホッとしている自分に気がつき、本当にダンスが好きなのかわからなくなってしまいます。 彼の心に訪れたのは自分は、公務員である両親への反発から、「自由な道」を選んだに過ぎないのではないか・・・「自分は、本当に […]

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