Love Kills. 愛は裏切りの中に。

Love Kills. 愛は裏切りの中に。

私、愛されてない。
愛があったら、こんなことしない。
愛してたら、こんな扱い受けるはずない、、、
だって、本当に愛してたら、
〇〇してくれるはずだし、
✕✕なんてしないはずだもの。

愛してたら、傷つけたりしない
愛してたら、待たせたりしない
愛してたら、放っておかない
愛してたら、必要なときに側にいてくれる
愛してたら、親身になってくれる
愛してたら、肯定してくれる

なのに、あの人は!!!

よく聞く話よね。
ところで、ここで語られている「愛」ってなんだろう?

大切にすること?
敬意を持つこと?
肯定すること?

実は「期待に応える」ってことなんだよね。

大切にしてほしい。
肯定してほしい。
頼らせてほしい。
助けてほしい。
必要な時に、必要なことをしてほしい。

ね。

何か、してほしいことがある。
そして、それを叶えてくれることを期待する。

愛=自分の期待に応えてくれること
逆から見れば
愛=相手の期待に応えること

これ、すごく難しいよね。
期待に応えてくれる人、つまり欲求を叶えてくれる人と出会って、
愛されてる!と思うのだけど、
そのうち、どこかで期待通りにならないことが起こる。
そう、裏切られる体験をする。
すると、どうしても、愛されてないと認識せざるを得ないわけ。

逆も然り。
初めは調子よく、相手の期待に応えていても、だんだん負担になってきて、
気がつけば、本当にこの人のこと好きなのか?なんて始まる。

そして、これは本当の愛じゃない、真実の愛を探さなくては!
というあてどない捜索の旅がはじまってしまう。

そしてもちろんこの旅では
真実の愛!運命の人!ソウルメイト!、、やっぱり違った(=期待はずれ)。
の繰り返しが待っているわけ。

これね、面白いんだ。本当に学び深き旅。
けれど、その旅は何処かで終わる。
この旅は、何処かで進めなくなる。苦しくてね。

そうして、僕らは旅を終えることになる。
 旅を終える時、僕らはようやく愛に出会う。

どうやって?

それは、「期待」を諦めることによって。
期待というのは、「思い通りにしたい」という欲望だ。
相手をコントロールしたい。自分をコントロールしたい。

愛というのは、この「思い通り」を解体する作業のこと。
愛を探す旅の中で、僕らは出会う。
思い通りにしたいのに、できない人。
自分の欲求を叶えてくれない、
思い通りにならない、
自分を逆なでし、イライラさせ、傷つける相手。

決して、期待に応えてくれない人。
それなのに、自分の命よりも大切に思える相手。

僕らは、突きつけられる。
相手を変えるのか、自分が変わるのか。
相手を殺すのか、自分を殺すのか。

そして、殺すんだ。
「こうあるべきだ!」と叫ぶエゴ、「思い」そのものをね。

自分の正義、自分らしさ、自分の理想、
自分の信念、善悪、真偽、美醜、
これだけは譲れないと頑なに握りしめていた「自分らしさ」という幻想。

そこで、嫌っていうほど、理想と違う自分に出会い、
おどろくほどに期待はずれな相手に出会い、
自分の中の、「こだわり」を解体していく。

それらが解体され、消えていったその先に、残っているモノ。
それは、ただ、あるということ。
あなたが、いる。わたしが、いる。

ただ、そのことしか、残らない。
そのままで、ただ、そのままで完璧で、何も変える必要がない。
深い深い肯定の感覚。

それは、存在への祝福としか言いようにないものだ。


そして気がつく。
この無条件なる祝福が、いつの日も自分の中にあったこと。
そして、自分に注がれていたこと。

この無条件の祝福のバイブレーションを覚えておこう。
大丈夫、いつの日も、そこにある。
 怒り、憤り、悲しみ、不安にさいなまれる夜でさへ
許せない裏切りに打ちひしがれ、後悔に暮れる日にも、
祝福はあなたと共にある。

いつも、いつの日も、あなたと共に。
こやみなく打ち続ける、あなたの鼓動と共に。