「何」の先にある世界

「何」の先にある世界

多くの人はまず、
どうやって?と問う。
どうやったらここから出られる?
どうやったら解決できる?
どうしたらよいの?

解決できないと、次は
なぜ?と問う。
なぜ出られない?
なぜこんなことになった?
答えはどこ?

それでも、解決できない時、
人はようやく、何?と問う。
苦しさって何?
問題って何?
解決って何?

何?

という問いを持つとき、
初めて人は、目の前の現実をじっくり見る。
ここではない場所を求めるが故に、
目を逸し続けてきた、今ココ。
現状。自分の立ち位置。

「本当はそうであるはずのない」
という枕詞つきで見ていた現実。
期待越しに見ていた世界。

それらを捨てて、
今、起きていることを、
「起きているのだ」
とただ認める時、
それは、中立な、良くも悪くもない、
シンプルな「経験」というものになる。

経験を、経験する。

そこに悩みは、存在しない。
構造上、悩みが存在できない。

揺れ動く感情はあるだろうし、
渦巻く思考はあるだろう。
けれど、自分に与えられた経験を、
受け入れる時、
経験はいつだって祝福に満ちている。