「自分の気持ちを大切にする」の罠を超えて

「自分の気持ちを大切にする」の罠を超えて

「自分の気持ちを大切にする」と、
時々、僕らは想定と違う場所に連れて行かれてしまう。
今日は、そんなことを、書いてみました。

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自分の気持ちを大切にするってなんでしょう?
僕は、自分の感情に気づいていることだと思います。
自分が傷ついていたんだな。
寂しさを感じていたんだな。

無視してきたり、見ないようにしてきた感情に光を当てていく。
それを言葉にしてもいいし、しなくてもいい。
相手に伝えてもいいし、伝えなくてもいい。

僕が大切だと思っているのは、”自分が”大事にするということ、
大切にする主体を「自分」にしておくということです。

いろいろな人を見てきて、
多くの人が躓くポイントがあるように思います。
それは、「気持ちを大切にする」という中に、
「気持ちをわかってもらおう」という欲求が入ってくることです。

それは、自分の気持ちを、
「”相手に”大切にしてもらおう」という試みです。
このチャレンジは、残念ながら、非常に成功率が低い。

それが「わかってほしかったのに!」という状況です。
説明不要、皆さんきっとご経験ありですよね。
そして、僕もさんざんやりました!
(・・・とか過去形で書くとすぐに実演する羽目になるんですけど 笑)

「わかってもらう」というのは、相手があることですよね。
なので、必ず「わかってもらえない」という事態が発生します。

すると、
「気持ちを伝えたのに、拒絶された!ひどい!」
「受け入れてくれなかった!」
「私を傷つけたのに、謝ってくれなかった!」
という状況が訪れるわけです。

そして、その傷ついたという感情に素直に表現すれば、
再度の「わかってくれない」が待っている。
この無間地獄にはまってしまうと、

けっこうしんどいわけです。
『傷つくならば、それは「愛」ではない』
という名著があるんですけれど、

この状態が起きる原因を、こんな風に表現しています。
何かを差し出して、傷つくのなら、
あなたが差し出した”それ”は、愛ではない。

愛ではないなら、何?
請求書ですよね!

私は、これだけサービスしました。
なので、支払ってください!!!!
え!?支払ってくれないの?ひどい!

頼まれてもいないのに、何かをやって、
請求書を送りつけて、支払いがない!と怒っている。
あんなに尽くしたのに、裏切られた!と嘆いている。

もちろん、「支払い」が目当てでサービスしてるんです。
「受容」とか「評価」とか「愛」が欲しくて、サービスするんです。
相手は、それを無意識に見抜くので、身をよじってかわします。

No Thank you,今はそのサービス欲しくないんだ・・・ってね。
押し売りされるほど、いらないって!となる。
だから、「求めるほどに、遠ざかる」わけ。

これは、傍から見ると、なかなか、笑える状況です。
けど本人は五里霧中。
振り返ると、僕も、そんなことばーっかり。

さて、最初の掛け違えに、戻りましょう。
「気持ちを大切にする」というのを、
「気持ちを大切にしてもらう」へと読み替えたことが
そもそもの原因です。

自分の気持ちを大切にするというのは、
それを、誰かに肩代わりしてもらうことではありません。
誰かに大切にしてもらうことでもありません。
誰かに「受け入れる」を代行してもらうことでもない。

他者による救済を求めている限り、無間地獄は続きます。
・・・無間地獄も、めっちゃ面白いんだけどね、
出口は、外にはない。
内です。自分の内側。

自分が受け入れるしかない、自分がわかってあげるしかない、
自分が自分を徹底的に受け入れるしかない、と知る。
つまり、あきらめるということです。

誰かのせいにするのも、誰かに代行をお願いするのも、
できないのだな・・・っとあきらめる。
烈火のごとくの怒りも、ほの暗い嫉妬も、ただれた憎しみも、
全部、自分の内側にある、自分の気持ち。
それを、わかってもらうことはできないし、
それを受け入れてもらうことも、できない。

自分がそれをやるしかない。
自分以外に、その仕事はできません。
けれど、それを進めていくのは、みんな一緒に。

自己受容の旅を進めていくためには、
絶対に、わかってくれない他者が必要なんですよね。
だから、わかってくれない人、期待外れの人こそが、
その人だけが、自分を自分へと連れていってくれるんです。

きっと僕らは、すべてを経験したくて生まれてくるのだけれど、
そのすべてには、もっと先まで含まれているよ。

ただ、愛であること。

そんな場所まで僕らの道は続いている。
それが、山登りではなく、山下りだというお話は
「心のことを学ぶほど・・・・」に書いた通り!

読んでない人は、読んでみてください。

それではまた