未熟さが、教えてくれたもの

未熟さが、教えてくれたもの

昔のことを思い出すと、
自分が、いかに幼稚で、浅はかで、未熟だったかを、自覚する。

それは、不思議な感慨だ。
微笑ましく、また、懐かしい。

幼稚で、未熟で、足りていない。
だから、生まれたモノがあった。

切なさも、苦しさも・・・・
喜びも、悲しみも、これまでしてきた体験すべては、
未熟じゃないと、体験できないことだった。
当たり前だけど、今日はそんな感覚が、ふと湧いてきた。

誰かを好きになって、変に、意識したり、悩んだり、
緊張したり、憧れたり、独占したくなったり、憎んだり、恐れたり・・・

仕事に、人間関係に悩み、人の評価ばかり気にして、
取り繕い、強く見せたり弱く見せたり、打算的な関係を育てては
それに、嫌気がさして。

目の前にある、大切なモノに気がつかず
失って気づき、後悔し、それでもなんとか進もうとして、
自分をすり減らした日々もあった。

すべて、僕の未熟さゆえに、生み出されたモノ、
僕の至らなさゆえに、体験したモノだ。

たくさんの思い込みと、過剰な自意識と虚栄心、独占欲と、怯えが作り出してきた、僕の人生。

素敵だったと思う。

だからこそ、出会えた人たちがいて、
だからこそ、経験できたモノがあったのだから。

傷つけあってしまったこともあって
未だに、悔いていることも、たくさんある。
忘れられない人たちのことを、未だに、夢に見る。

僕らの人生の醍醐味は、
自分の未熟さが、作り出していて、
それこそ、最も濃密で、美しい時間なのだろう。

許せないから、認められないから
本気で向きあったのだ。

それを、経験することでしか、
許すことを、学べなかったのだ。

そんな、不器用な、混乱していて、
不条理な・・・痛みを伴う関係性から、
僕らは、一番大切なモノを、見つけるのだろう。

僕は、思う。
きっと、成熟とは、それらを手放すことではない。
人生を、達観することでもない。

成熟とは、もっと濃密な関係性へと入っていくことなのだ。
もっと、リアルで、濃密な、時々痛い場所へと。

振り回され、傷つき、
それでも、それを、愛すること。
人生を、愛すること。

手放すのは、解放するのは、成熟するのは、
より深く関係するため。より世界に、近づくための、方法論だ。

今日のことを、振り返る日に、僕は、何を思うのか。僕は、何を見つけているのか。

その日まで、
自らの未熟を、未熟故に、作り出す関係=自分にとって最も大切で、
切実な関係性を、懸命に生きていこう。
今日は、そんなことを思った1日。