ハッピーに生きること

ハッピーに生きること

どうしたら、幸せに生きることができるのだろう。
僕らは、意識的にも無意識的にも、
たくさんの「自分が幸せになる条件」を掲げて、生きている。

~すれば、~したら、~ができたら・・・幸せ!

でも、この「実現のための条件」って、
本当のところは、幸せとは無関係だったりする。

なぜなら、
お金がなくても、事故とかで体の一部を失っても、
親がいなくても、パートナーがいなくても、
幸せな人は、幸せだからね。

幸せは、ひとつの、態度設定であり、
今、その瞬間を、楽しいと感じる、技術に近いのだと思うんだ。

僕らは、いかなる状態についても
悩むことができる。
お金があっても悩み、なくても悩む。
容姿が優れていても悩み、優れていなくても悩む。
結婚できなくて悩み、結婚生活に悩む。
子供がいなくて悩み、子供について悩む。

それらが全て解消されても、
空の青さに、冬の寒さに、風の強さに、
山の高さに、僕らは、悩むだろう。

それは、きっと、必要なことで、
僕らは、悩みを通じて、何かを見つけていくのだろうけれど、
そのプロセスは、
「悩みを解決すること」ではなくて、
「なぜ、そんなことに、悩んでいたのかなー」と気がつくこと。

すなわち、それを悩んでいた自分が変わるってプロセス。
つまり、悩ませていたことやモノって変わってないんだよね。

僕らが悩むのは、悩む必要のないコトに気がつくため。
こう書くと、不思議な感じだけど、
それも、悩むことなくたどり着けないのだろう。

悩むことで、その悩みが存在するレベルから、
ひとつ上にシフトする。

幸せについても、同じなんだと思う。
幸せの条件、~があれば、~できれば、幸せ・・・
というのは、永久に終わらないゲーム。

永久に、条件を作り続けることになるだろう。
だから、幸せになるプロセスは、
「なぜ、そんなことを、条件にしてたのかなー」と気づいていくこと。

自分の中の条件が、消えていく。
だから、その条件は、まったくクリアしていないのに、
外の世界は何も変わっていないのに、幸せがやってくる。

幸せは、いつだって
今、ここ、自分の眼の前に、全てが揃っていること、
必要なモノが、全部あることに、気がつくことなんだ。

僕らは、必要なモノを全て持っていて、
必要なだけ、それを、体験している。

そのことに気がつく体験のことを、
それを実感する体験のことを、幸せと呼ぶのかもしれないね。