2013年

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家族のテーマ

家族というのは、誰にとっても特別な存在です。一緒に居て安心する、遠慮せずに話ができる気の置けない関係・・・でも、多くの場合、それだけではありません。 愛おしくて、恋しくて、暖かい。同時に、うっとおしくて、苦しくて、許せない。家族とは、とてもとても複雑なものです。 家族が、複雑で、相反する感情の母体となる理由は、そこに自分の人生が「潜在」しているからです。 僕らの人生で起きたコト、テーマ、課題や悩み […]

支配的な関係を、支援的な関係に変える

2013年6月に書いた文章。思えば、この夏から本当の探求の旅が始まった。もう一度、自分のこと、自分の作ってきた関係性、自分の心のこと、毎日毎日考え、言葉にし、記録していた日々。高田馬場の日の当たらないマンションの一室で、暮らしていたあの日々のこと、あの美しい日々のことを、僕は昨日のことのように思い出す(2021年12月 記) + + + ここのところ、色々な出会いや、きっかけから新しい風景が見えて […]

善意の支配を受けたら

前回、「応援すること」というテーマについて書きました。応援とは、「求められた時に、選択肢を示すこと」そして、「どんな選択をしても、あなたを肯定する」というメッセージを贈ること僕は、そんな風に考えています。 では、そうではなく、求めてもいないのに、相手から「◯◯すべきだ」「◯◯しなさい」という指示を受けた時、つまり「善意の支配」を受けた時、僕らは、どう振る舞えば良いのでしょう。 時に、相手の気持ち、 […]

支援的な関係

人を応援すること、人をサポートすることそれは、その人が、「その人の決めた幸せを、その人の決めた方法で手にすること」を支持することです。それは、時に、「許容」に近い。 ともすると、僕らは、相手に「相手が、自分(僕)の決めた幸せを、自分(僕)の決めた方歩で手にすること」を期待します。 自分の方が、良く知っている、自分の方が、経験がある。だから、「こうした方がいい」「こうすべきだ」「こうなったほうがいい […]

酸っぱいブドウの木の下で(2)

前項では、ルサンチマンという心の仕組みを見てきました。後編では、「ルサンチマンからいかに自分を解放するか」をテーマに書いていきます。 「ブドウを食べたい」をこじらせたキツネくん、彼は、自分が決めた「ブドウは食べてはダメ」ルールのせいで、一生、ブドウの恩恵から遠のくことになります。 しかし、本当は「食べたい」わけですから、そんな自分の心を見ないために必死の努力を始めます。すなわち、いつもブドウの木の […]

酸っぱいブドウの木の下で(1)

本当に、自分はやりたいコトをやっているだろうか。誰しも、そんな感覚を持ったことがあるのではないでしょうか。 先日、こんな話を聞きました。彼は、舞台ダンサー。ある日、怪我をして、ベッドで寝ている間にホッとしている自分に気がつき、本当にダンスが好きなのかわからなくなってしまいます。 彼の心に訪れたのは自分は、公務員である両親への反発から、「自由な道」を選んだに過ぎないのではないか・・・「自分は、本当に […]

ファミリー・ヒストリー

家族における、人間関係は、僕らの原体験であり、「原・人間関係」です。僕らは、幼少期より、それを丁寧に学んで成長し、学んだ通りの方法論で、人間関係を創ることになります。 本人が気がついているか否かは別として、僕らが、「誰か」と取り結ぶ関係は、「自分が育った家族の、誰かと結んでいた人間関係」の、「コピー」になっています。 そのコピーは、全ての人間関係に渡っていると言っても過言ではありません。よく知られ […]

真実は心の中にーソクラテスとプラトンー

哲学を知らなくても、ソクラテスとプラトンは、名前くらい知ってる。少し世界史をかじっていれば、「無知の知」とか、「毒ニンジン事件」 しかし、なぜ、ソクラテスとプラトンは有名なのか。それは、人類史において、決定的な、思考のパラダイムシフトを起こしたからだ。 彼らの、”しでかした事件”を、知る為には、ソクラテス・プラトン登場前夜のギリシアの状況を、まず知る必要がある。 紀元前6世紀前後、ギリシアは、隆盛 […]

氷砂糖と朝の日光

「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」(「注文の多い料理店 序文」宮沢賢治) 僕はこの言葉に、とても勇気づけられる。それは、この一節が、僕らが生きることについての、とても重要なことを、教えてくれるからだ。 僕らは、とかく特別な、非日常の経験を求める。なぜなら、当たり前に過ぎていく毎日は、次第に新鮮さを失い、 […]