流れのままに、終わりのままに

流れのままに、終わりのままに

僕らは、「状況」に身を置いていると、
その「状況」や「その中に居る自分」を俯瞰的に見ることができません。

その状況の一歩外に出ると、はじめて、その状況を外から眺め、
その素晴らしさや、学びを得ることができる。
だから、俯瞰的に見ましょう・・・という話ではありません。
その日は、必要なタイミングでやってきます。
やってきてしまう。

ある日、俯瞰的に「自分のいる場所」を眺める日がくる。
そんな風に眺めている自分に気がつく日が来ます。
自分のいる場所の素晴らしさや、奇跡に気がついた日、
こんな日が100年続けば良いと、願った日、素敵な生活だな・・・とふと感じた日、
それは、やってきます。
すると、唐突に「これまでの日々」は終わります。

状況を俯瞰的に見ることが出来た日とは
そこから次の場所に向かう準備ができた日だからです。

すでに、半身、次の場所に居るからこそ、
自分が今までいた場所を、外から眺めることができているのです。

だから、愛の素晴らしさを確信した日、別れがやってくる。
哀しみの輪郭を知った日、新たな愛が芽生え、
自分の罪を確信した日、許しが訪れる。

それは、時に、非情に思えます。
でもね、その場所に居ることで得られる学びは終わり・・・
そしたら、もう次の場所に行くのです。

潜在意識はそれを良く知っています。
だから、なかば強制的に、僕らを連れていってしまいます。
それが「俯瞰的な視点から眺めている自分に気がつく」という体験です。

意識・・・つまり僕らは、それに抵抗を試みます。
それは、知ったる場所の心地よさがあるから。
でも、その抵抗は無力です。

そこに居る必要がないのに、留まる時、すべてがズレていきます。
当然ですね、自分の魂は、もうそこに居ないのだから。
だから、そのタイミングを迎えたらおとなしく、
それまでに別れを告げて、あたらしい場所に行くことです。
旧い皮を脱ぎ捨てて、飛び込むこと。

このシフトは、時に苦しかったり、辛かったりします。
でもね、それすら、必要なコトなんですね。
自分の執着を断ち切る為の、炎を、自らに灯すのです。

だから、流れのままに進むこと。
終わらせるのでなく、終わりを承認すること。
次なる世界は、よりあなたが輝く場所になる。
その悲しみや痛みすら、あなたを磨くのだから。