支援的な関係

支援的な関係

人を応援すること、人をサポートすること
それは、その人が、「その人の決めた幸せを、その人の決めた方法で手にすること」を
支持することです。それは、時に、「許容」に近い。

ともすると、僕らは、相手に
「相手が、自分(僕)の決めた幸せを、自分(僕)の決めた方歩で手にすること」を
期待します。

自分の方が、良く知っている、自分の方が、経験がある。
だから、「こうした方がいい」「こうすべきだ」「こうなったほうがいい」・・・
それらは、善意にから生み出されるものです。
相手に失敗して欲しくない。相手に幸せになって欲しい。
そんな、相手への想いが、根底にあることを、否定はしません。

しかし、それは、コントロールであって、応援でもサポートでもない。
それは、自分の想う通りに相手が行動をすることへの、
やわらかな「服従命令」であり、小さな「支配」です。

どんなに、相手を思って行ったとしても、
それは、相手の主体的な生、生きることの根本である
「自らが、選択すること」を、否定することになります。

僕らに必要なのは、「信頼すること」です。
「相手が、相手のペースで、生き、学び、経験をすること」を信頼すること。
相手の選択を、相手の人生を、信頼すること。

もし、誰かに「こうした方がいい」と口にしたくなったなら
ひと呼吸おいて、自分を見つめてください。
眼を向けるべきは、相手ではなく、自分です。
少し考えれば、その言葉(アドバイス)が最も必要なのは
他の誰でもない「今の自分」であることが見えてくるはずです。

そして、自分に「こうした方がいい」と言うのをやめて
ありのままの自分を許容することができた時、
相手をコントロールしたい気持ち、アドバイスしたい気持ちが
消えていくことに気がつくでしょう。
自分を信頼することは、相手を信頼することに、他ならないわけですから。

さて、では、どうやって人の力になればいいのか。
愛する人、家族、友人、同僚、部下、クライアント・・・を、

それは「求められた時に、選択肢を示すこと」です。
あくまで、選択し、判断し、その決断を生きるのは相手。

その時に、僕らは相手に対して
「あなたは、選択を通じて、主体的に生きることができる」
というメッセージを送ります。
それは、最も根本的な、存在の肯定と言えます。

「あなたが、どんな選択をしても、どんな道を選ぼうとも、あなたを肯定する」
このひとつのメッセージを伝えられたとき、
相手は、きっと勇気を持って、自分の決めた道を歩いて行くことができます。
「自分の決めた道」だから、進んでいけるんです。