グッバイハピネス
幸せな恋愛するためには、
愛され力を高めよう。
幸せに生きるためには、自分を大事にしよう。
幸せになるための○○。
幸せな○○をするための、✕✕。
というのが、溢れていて、
みんな幸せになりたいのだなーっと思う。
幸せってなんだろ?
幸せな恋愛って何?
互いを尊重し、高め合う関係性?
互いに認めあい、愛にあふれる二人?
幸せな生活って何?
自分が自分らしくいられる生活?
朝起きて、幸せだなーって感じられること?
きっと
物質的な豊かさとか、人間関係とか、
自分の外側のことを条件にして、
○○が叶えば、幸せ
とか
○○がないから、不幸せ
というのは、違うんだろうな・・と多くの人が気がついている。
けれども、自分の幸せを自足する、
つまり、「幸せ」を自分で作り出すという方向性も
また、少しズレているのかもしれない。
幸せを、状況ではなく体感に依拠するものだとするのなら、
幸せ=「幸せ感」ってことになるよね。
幸せ感ってつまりは「気分」。
気分って、長続きしないんだよね。
多幸感やエネルギッシュな状態にいる感覚を「幸せ」と呼ぶとすると、
幸せは、あったりなかったりするとても不確かなものになる。
たまたまエネルギーに満ちた時には、幸せを感じるけれど、
そうでないときは、幸せな体感はない・・・・
この幸せ感を「幸せ」だと思って追い求めると、
どうしても、多幸感とか達成感とかが得られるような、
「自分をアッパーな状態にしてくれる愉しいこと」を自分に与え続ける必要が出てくる。
けれど、バイオリズムは常にバランスする性質を持っていて、上に引っ張れば、同じだけ下にもいくので、
山と谷=アッパータイムとダウナータイムが繰り返すことになるわけだ。
よくSNSで見る、
・幸せ満開!私、自分を愛します♪
からの、
・罪悪感が出てきてしまって泣きました、でもそんな、私も許します!
みたいな現象ね。
この幸せ探しのジェットコースターも楽しいけど、
そろそろ降りようかなって場合は、
まず、幸せってのを、忘れることだね。
幸せになるとか、幸せな〇〇とか、すべてね。
そして、「今、ここにいる」 ということ だけに、なってみる。
今、ここで、呼吸している。世界を眺めている。
そのひとつひとつ、自分の内側と外側に広がる世界を、丁寧に丁寧に、眺めてみる。
・・・その瞬間、あなたは、そこにいる。
自分がそこにいる、という体感。
そのじんわりとした、生の実感。
それは「至福」とでもいうような感覚。
この体感は「幸せ感」とは違う。
幸せ感は、あったりなかったりする。
悲しいことがあれば、さっさといなくなり、
落ち込むことがあれば、とたんに消え失せてしまう。
至福は、生きている限り、意識を向ければそこにある。
悲しみに涙しているとき、喪失に呆然としているとき、
怒っている時、憎んでいる時、愛している時、恐れている時、
それらを深々と味わうのなら、いつだって至福がある。
それは「生きている」という体感そのものだから。
生きている、ただ、その当たり前のことに
震えるほどの歓喜がある。
幸せを求めるという心の動きは、
どうしても、「今よりもっと幸せな場所」というストーリーを作りがちだ。
すると構造上、どうして「今、ここ」から、離れてしまうことになる。
つまり、幸せになろう!と思う限り、
今ここ を 深々と味わう=至福 から 遠ざかるというパラドクスがある。
幸せ感は、人生のスパイスみたいなものだ。
ラッキーな出来事、達成できた喜び、大いに楽しみたいよね。
けれど、それは神のみぞ知るセカイ。
僕らにできるのは、
与えられた今日を生きること。
好き勝手、好き放題生きること。
そして、そこに起こるすべてを味わい尽くすこと。
至福の中で。至福の中にくつろいで。
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