自分が変わるのは負け?

自分が変わるのは負け?

色々話をしていて、面白いなあと感じてることがあります。
それは、「自分が変わる」=「負け」=「損」という感覚についてです。

普段から、目の前の出来事を通じて、自分が変わっていく
という話をしているのですけれど、
そこで、時折、このような反応に出会います。

相手は変わらないのに、
自分だけが変わらなくてはいけないなんて不公平だ。
ずるい。相手も、変わるべきだ。

僕は、自分が変化する=ひとつ自分が成長する=自由&幸せに近づく
という発想でしか見ていなかったので、
なるほど・・・と思いました。

同じく、相手を許す、認める、受け入れる
というのも、敗北や屈服を意味することもあるようなのです。

つまり、「自分が変わる」というのが、
自分が折れる、自分が我慢する、自分が譲る・・・
というイメージで意識されている。

何が、そうさせているのかな?
どうして、そう感じてしまうのかな?
と考えますと原因は「変わる対象」についての意識の違い
だということが見えてきました。

「自分が変わる」というのは、主体意識が変容するということです。
我慢するとか譲るという行為を行っている本人そのものが変容し、
それまでの自分、その体験をする前の自分とは、別人になる
というプロセスです。

けれど、この自分が変わるという感覚を
「意見を変える」と捉えていると、確かに、なかなか辛いものがあります。
それは「自分を変えないまま、意見を変える」ということだから。

つまり、自分の本心<相手の都合
という図式になりますので、確かに、敗北ですよね。
自分は、我慢するのだから、相手だって我慢すべきだってわけ。

繰り返しになりますが「自分が変わる」という体験は、
「意見の変化」ではなく、「世界観の変化」です。
世界観が変わるとは、今、見ている世界が別のモノとして見える
ということです。

それまで価値がないと思ってたものが、大切なものに、
今まで大切だと思ってたものが、取るに足らないことに、
怖いと思ってたものが、ワクワクの対象に、変わる。

生きることの意味、出会うことの意味、死ぬことの意味が、変わる。
つまり、より自由でハッピーな世界線にシフトする、
パラレルワールドにシフトする体験ということです。
そのために、信念の変容が不可欠です。

意見ではなく、信念が変わる。
これは、ものすごく大切。

例えば「自分勝手なあの人が、許せない」というシチュエーション。
意見を変えるというのは、
「自分勝手なあの人を、頑張って許そう」という試みです。
自分勝手だけれど、あの人だって、悪気があるわけじゃないんだ。
自分が少し寛容になれば、問題はないんだ。
だから、自分が大人になろう、自分が許せる人間になろう。

この試みは、100%破綻します 笑
なんの苦行やってんの~ 無理無理~ です。
必ず
私は、こんなに我慢しているのに!
ムキ―!! 怒 怒 怒
となります。

違うのです。信念・世界観を変えるというのは
「自分勝手」ってなんだっけ?
ということです。

自分勝手とラベリングする自分そのものがいなくなるので、
許すも、許さないもない。
自由気ままで素敵だな~ 面白いなー くらいなものです。
自分の人生から、「自分勝手」という言葉がなくなる。

自由気ままで素敵なあの人、自由気ままで生きる自分。
愉しいね♪ 以上。

そして本当に、自分勝手という感覚を忘れてしまいます。
なんだっけそれ・・・という感じです。
自分勝手が存在する世界線 → 存在しない世界線へとシフトしています。

それまで問題に見えていたものが、まったく問題ではなくなる。
だから、許すことも、認めることも、受け入れることも不要です。

この2つのプロセスには、大きな差がありますよね。
自分を変えるということに苦しさを覚えている人は、
この2つの変容のプロセスを混同している可能性が高いと思います。
だから、許せないし、変われないんです。

さて、では自分を変容させていくために、どうすればよいのか?
とっても簡単です。

人生に起きるすべての出来事が、変容の契機です。
すべての出来事は、自分の持っている信念、
自分の持っているラベリングのコピーです。

故に、そこにネガティブなモノを感じたのなら、
即座に、自分の内側、自分の信念にアプローチしていきます。
ネガティブな体験がやってきたら、ガッツポーズです。

ルール違反している人がいて、ムッとした。
自分の中に、「ルールを守ることは正しい」という信念がありますよね。
これを解除していきます。

なるほど、自分はそれにこだわってたのか・・・
それがわかると、もう信念が変わり始めています。
自分が、いかに、正義の側でありたかったのか、
正しい存在でありたかったのか、がわかってきます。

そして、なぜそうありたかったのか?も見えてくるでしょう。
正しく良い子である必要があった理由、
それによって、何を獲得したかったのか・・・

もちろん、それは、愛ですよね。

ルールを守る正しい子を演じることによって、
誰かの「愛(だとその時に理解していたもの)」を得たかった。
それは、誰?

・・・例えば、こんな風に自分と対話していきます。
ね、とてもシンプル。
語りかけ、問いかけるのなら、自分は必ず答えてくれます。

今日は変容のプロセスについて、少し整理してみました。
何か参考になることがあれば幸いです。
それでは皆さん、素敵な1日を。