傷ついてしまった人へ
僕らが傷つく時、
傷ついたのは、自分の「世界」なんだ。
自分の世界。
自分が信じている世界。
自分の周りにドームがある。
そのドームの中に広がる、自分の世界。
知っている世界、信じられる世界。
トゥルーマン・ショーという映画があったけれど、あんな感じ。
そんな調和した世界に、バキッとヒビが入る経験がある。
騙されたり、嘘をつかれたり、
信じられないような出来事に遭遇したり。
僕らが傷つくのは
その瞬間に、自分の世界観、人間観、死生観、
そういうものが、危機にさらされたり、壊れてしまうからだ。
この人は信じられるな、
っと思ったのに、裏切られた!浮気された!拒絶された!
自分の信じている「人間の定義」が崩れる。
じゃあ、
「人なんて、騙すし、利己的だし、そんなもんでしょ?」
って思っている人は傷つかないかというと、実は逆なんだな。
傷ついてしまったから、そう思うことにしたってこと。
だから、世界を斜めに見ている人ほど、
とてもとても繊細だ。
傷つきたい人なんていないのに
どうして僕らは、傷つく体験をするのだろう。
どうして、傷ついてしまうのだろう。
ここで、ひび割れた世界の向こうのことを
思い出してみよう。
ひび割れた自分の世界。
その向こうに何がある?その外側には何がある?
実は、もっと広い世界が広がっているんだ。
ヒビの隙間から覗くと、向こうには、まだまだ世界が広がっている。
自分の世界というのは、
自分の世界観によって作られている。
それは「人って、こういうものだ」とか
「愛って、こういう態度だ」なんてことの積み重ね。それが、世界を作る。
例えば、男は男らしく!という世界に生きていたAさん。
結婚し、息子が生まれ、すくすく育ち、ある日、同性愛者だと告白される。
きっとショックを受けるよね。Aさんの世界に、激震が走る。
そう、傷つくってことだ。
Aさんにとって必要なことはなんだろう。
きっとAさんは、必死で、ヒビを直そうとする。
自分の信じる世界が、正しいのだと言い聞かせるはずだ。
息子さんを非難したり、怒ったり色々するだろう。
それをしている間中苦しい。
唯一の解決策は、壁を壊すってことだよね。
自分の信じてきた正しさ、世界観を、手放すってこと。
そう、自分を閉じ込める壁の外に出る以外に、解決のしようがないんだ。
すると、男は男らしく・・・という世界に激震を入れてくれた息子さんは
救世主ってことが見えてくる。
自分を小さな世界から解放してくれるのは、
いつだって、裏切ってくれる人 なんだ。
自分を傷つけた人は、自分の世界の外側を教えてくれる人。
傷ついたなら、まずは非難し、糾弾し、自分の正当性を大いに主張したらいいよね。
僕も、いつだってそうだ。
けれど、どこかで、わかってる。
僕は、ひび割れた世界を後にするのだと。
それは時に簡単ではないけれど、必ず、僕らは歩みだす。
外の世界に向かって。
純粋さや、弱さを鍛える必要なんてない。
傷つくことができる柔らかな感受性が、
僕らを導いてゆく。
繊細で、純粋なあなたは、
事あるごとに、傷ついて泣いているけれど
きっと、その涙のぶんだけ、美しい世界に出会うだろう。
そしてその美しい世界のことを、僕らに話してくれるだろう。
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