現実2.0
心理学や哲学、宗教や思想、様々な形で伝えられてきた、
人類が持つ「2種類の体験の捉え方」=「2種類の現実」を、
「現実1.0」と「現実2.0」というコンセプトで解説してみようと思います。
現実1.0と現実2.0のパラダイムの最も異なる点は、
体験を「現実(本当)」と捉えるか「認識(幻想)」と捉えるか
の違いといってよいと思います。
「現実1.0」は、現実を「現実(リアル)」として捉えます。
「現実2.0」は、現実を「自分の意識が作り出した認識体験(アンリアル)」だと捉えます。
別の言い方をすれば
現実1.0は、「現実の中に、自分がいる」・・・と捉えます。
現実2.0は、「自分の意識の中に、現実がある」・・・と捉えます。
科学的見地から言うと、すべての現実体験は、
五感を通じてインプットされた情報を脳内で再構成したものであり、
すなわち、全ては「脳の中」にあるので、現実2.0の世界観の方が正しい。
しかし、実感のレベルでは、僕らは、「外の世界」を見ているわけなので、
現実1.0の世界にいるわけです。
現実1.0で眺めるのなら、
・横暴に振る舞う、悪い人に出会う
という体験が存在します。
現実2.0で眺めると
・自分が「横暴」だと意味づけし、自分が「悪」だとラベルを貼ったので
「横暴な悪い人との出会いと言う体験」を作り出した
ということになります。
さらに言えば、無数にある体験の中で、その体験を意識にのぼらせるということは、
それを自分が、”あえて”、”頑張って”、”努力によって”、創造して、
自分の意識上にのぼらせたということになります。
現実1.0で眺めると、
・許せないあいつ
が存在します。
現実2.0にすると
・許さない自分
が存在します。
現実1.0で眺めると
・問題
が存在します。
現実2.0にすると
・それを問題だと見なす自分
が存在します。
現実1.0では
・問題を解決する
ということが求められ、またそれを求めます。
現実2.0では
・問題だと見なす自分をやめると、問題などなかったんだ!と気がつく
という体験が生まれてきます。
例えば
・わがままで、ズボラで、なってないアイツ(息子・娘・部下・嫁・・・・)
によって、被害を被っている自分
という問題。
現実1.0では、
・その人を変えようとする
・気にしないことにする、離れる・・・
・わがままな人もいる。それを認めよう!と許す。
等々のアプローチになります。
現実1.0のアプローチのポイントは、
その人が「わがまま・ズボラ・ダメ人間」という「前提」を「変えないこと」です。
3つ目のアプローチは、現実2.0に似ていますけど違います。
「ダメだけど、認めよう」は、「ダメ」という部分を自明のモノとしている。
それは、現実1.0。現実を「リアル」として捉えている世界観にいます。
現実2.0では、
・わがまま、ズボラ、なってない
と判断した自分、それを悪だと定義した自分に出会っていきます。
アプローチは、全く逆です。
それを許せない自分、「わがまま」を許せない自分、
「わがまま を 許されてこなかった自分」、「わがまま な自分を、許せない自分」に
気がついていきます。
そして、それに気がついて、「わがまま」なんて存在しない現象な訳ね・・・
と気がつきます。この世界に、「わがまま」という現象はありません。
だから、「わがままな人」も存在しません。
「ダメだけど認めよう」ではなく、そもそも「ダメなんて、ないんだね」です。
「わがままだけど、許そう」ではなく、そもそも「わがままなんて、ないんだね」です。
「わがままな人」も「残酷な人」も「愚かな人」もこの世界には存在しません。
そう見なす人だけが存在します。そう見なしたい人だけが存在します。
けれど、リアルなものだってあるじゃないか!
例えば、身体の痛みや病や、物理的に攻撃をされる体験は、どうなの?
と思う方もいると思います。
現実1.0で眺めると
・病という「不要」で「不運」な体験があり、
・病にかかった、かわいそうな、不幸な、健気な人
が存在します。
現実2.0にすると
・痛み や 肉体的な苦しさ
があります。
・それを生きている人
が存在します。
現実2.0というのは、空想的な視座ではありません。
むしろ、現実的、ものすごく現実的な視座です。
というのは、ファンタジー=意味(良い・悪い、幸せ・不幸せ・・・)を
そぎ落としていくからです。
そのもの、その出来事そのもの。その瞬間、その瞬間にあるもの。
そこに意識が置かれているのが、現実2.0の意識です。
誰かに、殴られる体験があったとします。
現実1.0においては
・殴られた被害者としての私
が存在します。
もちろん、「被害者を名乗る」という意味ではなく、
”された側”という意味です。
現実2.0においては
・肉体的な痛み
と
・そこで感じた恐怖の感情
があります。
そこには、正義も悪も、一切入る余地がありません。
誰がそれを与えたのか、というのも、意味がありません。
自分の心の体験、自分の感情の体験、自分の肉体の体験。
それだけが、リアル。
今日は、この2つのリアリティ、
1.0と2.0のリアリティの輪郭を描くのがテーマなので
詳しくは、次回以降に書きますけれど、
苦しさとは、現実1.0にいることに、由来します。
現実1.0にいるとき、僕らは、問題を抱え、苦しみます。
何時もではありません。問題を抱え、苦しんでいるときには、
必ず、現実1.0の意識にいるという意味です。
だから、
「殴った相手が悪い。ひどい。ありえない。」
「裏切ったあいつは、やっぱり、人としておかしい」
と、自分の正義をなぞる限り、その人は、なかなか苦しさから出られない。
もちろん、出ることが良いわけではありません。
その中からしか、学べないことがあり、その体験こそ全て。
けれど、そもそも、なぜ、その体験をしたのか?
という点に意識を持っていくと、
現実2.0的な視座へと舵を切る必要性が見えてきます。
「あなたは、なぜ、その体験をしたのか。」
これに答えていくことを、次回のテーマにしましょう。
今日は、このあたりで!
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