傷ついてなかなか立ち直れない時に思い出して欲しいこと
何かに傷ついてなかなか、立ち直れない。
そんな時に、思い出してほしいこと。
「傷つく」というのは、あなたが、わたしを傷つける
という形では、起こらないということ。
そうではなく、わたしが、わたしを傷つける
という形で起こるんだ。
自分の中に、
・傷つけた自分
と
・傷つけられた自分
の二人がいる。
自分の「中」の争いだからこそ、
僕らは内側に苦しさを感じるんだ。
だからね、その苦しさを溶かしていくためには、
傷つけた側の自分と、傷つけられた側の自分を
うまいこと架橋し、仲直りさせるしかない。
自分の中の「自分を傷つける自分」を放置する限り、
いつだって、「傷つけられる自分」が生まれるからね。
こうして見て見ると
なかなか立ち直れない・・・時間が経っても
なんだかすっきりしない理由は、簡単だ。
誰かとの間に起こった過去の出来事ではなく、
今、その瞬間に、事件が起きているということなんだ。
その瞬間、自分の中で、戦いが生まれている。
いつの日か、誰かに「君には価値がない」と言われた傷が痛むのだとしたら、
それは、今、この瞬間に、自分が自身に向けて
「あなたには価値がない」と言ってるってことだ。
それは、幸運なことだ。
なぜなら、過去に戻る必要も、その人を連れてくる必要もないから。
問題は、過去ではなく「今」、そして、誰かではなく「自分」、
どこか、ではなく「ここ」で発生しているということ。
「今、ここ、自分」。
目の前に、解決のためのすべての鍵が揃っている。
二人の対話を始めよう。
どちらにも、言い分があり、どちらにも正義がある。
丁寧に、丁寧に、自分の内なる対話を進めていく。
それを眺めている自分もいるから、三者協議だ。
感情を感じる。思いっきり感じきる。
押し込めてきたものを、解放する。
そして、何が許せないのか、何に腹が立つのか、
何を正しいと信じ、何を悪だと信じているのか、
自分の持っている信念に気が付いていく。
そして、それを手放していく。
気が付けば、
自分を責め、自分を叱咤し、自分を傷つける自分が
小さくなっていく。
同時に、あなたは、世界を裁かなくなるだろう。
裁かないでいる。
世界がそこに、そうあることを、自分がそこに、そうあることに足りている。
その自由と開放感は、筆舌に尽くしがたいものだ。
・・・と言いつつ、また誰かを説得したり、責めたりするのだけど・・・
けれどそのたびに、戻ってくればいい。
自分の中心から、世界を眺める時、
誰もが、必要な形で、必要なタイミングで
必要な体験をしていることが、はっきりと見えてくる。
何も変える必要などない。
そこにあるのは、明晰で、シンプルな世界。
それは5月の風のように、透明で、軽やかで、驚きに満ちている。
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