やさしいハグ

やさしいハグ

何年か前に、僕はとても傷つく経験をして、
どうにか自分なりにその経験を消化しようと、懸命だった。
そんなさなか、いきつけのカフェで、旧い友達に偶然出会った。

僕の話を聞いた彼女は「悲しいね、大丈夫?」って泣いてくれて、
やさしいハグをくれた。
ふわっと包み込む、本当にやさしいハグだった。

あの、たった一度のハグに
自分がどれだけ救われたのか
今になって、わかる。

ただ、「悲しいね」、「つらいね」って、
相手を受け止めること。
それが、どれだけ人を癒すだろう。
それだけで、僕らはきっと、進んでいけるんだ。

そんなことを、思い出したのは、
ある出来事を通じて、我が身を、もう一度深く省みたから。

いつのまにか、自分が、そんな場所から、
離れてしまっていることに気がついた。

いつからだろう。
僕は、そんな風に、
人を受け止められなくなっていたのかも知れない。

いつの間にか、避けていたのかな。
感じることを。

元々、かなりのエンパス(共感覚者)だった僕は、
そのままで生きるのが、とっても辛かった。
相手の悲しみも、痛みも、
全部、同じくらい自分の身体で感じてしまうから。

だから、かなり早い段階で心を閉じたのだと思う。
小学校に上がるころには、すっかり、スイッチ・オフ・モードを身につけていた。
人を傷つけても、全然大丈夫!
おかげで、相当に歪んだ子供時代を送った。
(小学校の通学初日に、カッターナイフを人に向けたらしく、
 絶対コイツとは、関わるまい・・と心に誓ったと、後で聞いた。
 その話をしてくれた彼とは、未だに親交がある)

さて、そんなわけで、やたらとヤワなハートと、
バリケードを貼った付き合いという、わかりやすいジュブナイルを経て
大人になった。

そんな自分は、嫌いではなく、
案外、楽しく生きてきたんだけれど、
僕の場合、この心の葛藤が、いつも人間関係に表面化した。

最も親しい人が、苦しむ。

今になってわかるけれど、
これ、僕にとっては、一番怖いことであり、
一番、キツイことなんだよね。

自分の身の上に、何か大変なこと・・・ってのは、
ほとんど起きないんだけれど、
なぜか、いつも、大切な人が、隣で、苦しんでいた。

だから、僕は、その辛さをどうにかしなくては、生きてこれなかった。
どうやったら、幸せになれるのか。
どうやったら、大切な人と、「苦しまない日常」を送れるのか。

なぜ、他の人には簡単にできて、
僕には、できないのだろう。
どうしたら、幸せになれるのだろう。

その探求を、ずっとやってきた。そして、その旅は、途上にある。
まだ、答えにたどり着いていない。

けれど、振り返れば、
それを探して、懸命に、懸命に、歩いてきた日々は、
いつだって輝いていて、いつだって美しかった。

何があろうと、何が起ころうと、
ほら、気がつけた!また、一歩進めた!って、前を向いてきた。
いつも、その胸には、希望があった。

僕は、僕の生き方が、好きだったんだと思う。
そして、確かに、僕は本当にたくさんの事を学び、
それを人に伝えることで生きる場所まで、やってくることができた。

ふと、こんな風に振り返り、
自分が、そんな生き方を、
そろそろ、終えていくのかも知れないなとも思う。

すごく変わるのか、少し変わるのか、わからないけれど、
ひとつ、何かが、終わろうとしている気がするのだ。

ただ、まっすぐに泣いたり、悲しんだり、怒ったり
そんな生き方へ、僕は戻っていくのかも知れないな。

そうしたら、僕も、あんなハグを、
贈れる人に、なれるのかもしれない。