僕を育ててくれた心の世界への旅

僕を育ててくれた心の世界への旅

セラピーをやっている、
カウンセリングをやっていると言うと、
時に、こんな風に問われることがある。

「毎日、人の悩みや、ネガティブな話を聴いて、大変じゃない?」
「自分の、心のケアはどうやっているの?」

確かに、10代から20代にかけて・・・
期せずして、カウンセリング(的なこと)を始めた頃、
そんな感覚も、少しはあったかもしれない。

でも、今の僕の実感は、全く別のものだ。

僕は、セラピーをやり、カウンセリングをやると、
自分の中の最も美しく、エネルギッシュな部分が活性化するのを感じる。

その理由は、明確だ。

僕の前で、みんなが、見せてくれるからだ。
その人の中の、最も美しく、柔らかで、純粋なモノを。
そして、最も勇敢な眼差しを。

自分の心に、向き合おうというエネルギーは、美しい。
秘められてきた感情や、記憶に触れるとき、
そこには、最も純粋なモノが宿るのだ。

そして、誰かの前で、自分の伏せてきた過去や
触れるのが怖い感情を、晒すという行為は
大変に勇気がいる行為だ。

すなわち、いつだって僕は、戦士の前に立っているのだ。
僕よりも、勇敢で、純粋で、優しく、懸命な、一人の戦士の前に。

僕は、そこで、一人の戦士が、何かを見つけていくプロセスに、
変容していくプロセスに立ち会うのだ。

そんな時間を、どうやって「ネガティブ」と形容できるだろうか。
その、透明で、繊細な空間に身を置いて、
いかにして「疲れる」ことができるだろうか。

僕は、今、自分が、
とても純粋な場所で生きていることを、実感している。

振り返ってみると、かつての僕は、本当に浅はかだった。
「人生なんて、こんなものでしょ」と斜めに構え、
小さな嘘で固めて、辻褄を合わせながら、
するすると人の間を器用に抜けていく・・・

そんな僕に、神はチャンスを与えた。
「出会ってごらん」と。

あれは、19の頃だった。
「純粋だからこそ傷つき、まっすぐだからこそ、苦しみ、
それでも懸命に生きようともがいている人」と出会って、
僕は、自分のあり方を、変えていかざるを得なかった。

僕の中の、不要なモノを、大掃除していくしか、なかった。
自分のあり方、生き方、行動、感情、信念、世界観、恐れ・・・
その全てを、総ざらいしていくしかなかった。
それ以外に、生き抜く術はなかった。

あれから、13年の歳月が経ち、
やっと僕は、このことを実感し、言葉にできている。

人生の秘密を、あの日の、悔しさを
未だに、振り返れない傷を、見果てぬ夢を、
還らぬ思い出を、恐怖を、苦しみを、
僕に、話してくれた人たち。

僕の前に現れた、
「懸命に生きる人たち」が、僕の、教師だったのだ。

たくさんの人が、育ててくれたのだ。
その人生を持って、教えてくれたのだ。
その魂の純粋が、僕を洗ってくれたのだ。

僕はこれからも、導かれながら、導いていくのだ。
「導く」。これまで、使わなかった言葉が、
初めて、僕の元に、やってきた気がする。
(また、どこかへ行ってしまうかも、しれないけれど)

5月の連休は、意識のシフトがあって、
また何かが、変わっていくことが、わかった。

きっと、僕は、還していくことになるだろう。
自分がどこまで行くのか、行くことになるのか・・・
また新たな旅が、始まろうとしている。