願望実現と幸せ
・~をしたいのに、できない。
これが、「悩み」の、ほとんど全てです。
願望があり、その願望を実現ができないことが「悩み」となるわけです。
これって、不思議なことだと、思いませんか。
なぜなら、願望とは、夢であり、希望です。
それは、幸せにつながる道のはずです。
しかし、その夢や希望が、その持ち主を、悩ませている。
苦しめ、惑わせている。
その望みさへ、持たなければ、
その人は、その悩みと無縁だったはずなのです。
もっと、お金があればいいのに。
もっと、優しくなれたらいいのに。
もっと、良い出会いがあればいいのに。
そう望みさへしなければ、その悩みはなかった。
願望がなければ、幸せだったのです。
願望が、不幸せを連れてくる・・・不思議なことですよね。
こう思う方もいらっしゃるでしょう。
「叶わないときは、悩みもする。
しかし、それが叶ったら、幸せになれるじゃないか!」
しかし、事実は、そうでもないのです。
ほとんどの場合、願望を実現したとき、
人は、幸せではないのです。
例えば、「結婚したい!」という願望を持っている人がいるとします。
その人が、この願望が実現できていないことで、悩んでいる場合、
「結婚」を実現すれば、幸せになれるでしょうか?
答えは、NOです。
願望が実現した、一時の達成感はあるでしょう。
しかし、必ず、その人は、しばらくすると、こう言うでしょう。
「私は、子供ができないから、不幸せだ」
その後は
「子供が、優秀でないから、不幸せだ」 and so on・・・
幸せとは、ひとつの、態度のことです。
内的な、態度設定のこと。
つまるところ、
・幸せな人は、どんな場所にいても幸せを感じ
・不幸せな人は、どんな場所にいても不幸せを感じる
ということです。
すなわち、幸せというのは、
~だから幸せ、~だから不幸せ・・・という形で
存在しているモノではないのです。
何か、条件を設定し、それを満たしたかどうかと、
幸せな感覚を内的に保ちながら生きるということは無関係なのです。
自分の幸せを、「誰か」や「何か」、
環境や状況や条件に明け渡している限り
幸せは、手に出来ない。
内的な態度設計を変えるしかないのです。
自分の幸せを、条件のクリアの可否に置くことを辞めること。
何かの実現や、何かの条件の合致や、何かの出来事の結果
と置くのを、やめるのです。
方法論はさておき、
それ以外の形で人が幸せになるのは、
論理的に不可能だ・・ということです。
すなわち、幸せに向かう方法論は、
常識とは正反対のアプローチになります。
条件を、ただただ、捨て去っていく。
自分の人生に必要だと思っている条件を、
手放していくのです。
新たに自分の加えなければならないモノのリストを捨てていくのです。
なぜなら、「必要なモノを、人は、常に、すでに持っている」からです。
ここは、とても重要なことです。
「持っていないモノを、人は、想像することも、欲望することもできない」
からです。
多くの物語・・・民話や伝承が語っているのは、
「宝物は、足元にあった」というお話です。
・今、必要なものは、もうすでに、持っている。
そこに気がついた時、僕らは知るのです。
自分の内部に、幸せが、いつだって存在していたことを。
それがいつだって、自分の内側で、自分を温めてくれていたことを。
僕らの人生は、ほとんど、このことを知るために、
存在しているような気がします。
不思議ですけれど、「足元の宝物」を見つけるためには、
遠くまで、宝物を探す旅をしなければならないのです。
ゆえに、時に人生は、遠回りをさせます。
でも、それで良いのです。
きっとそれ以外の方法で、見つけることができない宝物がある。
いや、そのような道をたどらねば、
それが宝物だと気が付くことができないように、
仕組み化されている。
僕らにできることは、自分を信じて進むことだけ。
やりたいこと、自分の考えのままに、やってみる。
すると、自分のやりたいことを実現した時に、
それが、必ずしも、幸せにつながらないことに、気がつくでしょう。
思うがままに、自分の意思のままに、生きているのに、
なお、空虚さが増していくことに、気がつくかもしれません。
そこから始まります。
本当に自分が望むものが何なのか。
本当に自分のやりたいことが何なのか。
そして、幸せに生きるとは、何のことなのか。
それを探す、ひとつ深いレベルへの旅が、スタートするのです。
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