バリ三題:バリ旅行道中記
@ウブド
Ubudの中心通りに佇むbody works center。
僕は、ここに、帰ってきたかったのだ。
整えられた庭の植木も
池の金魚雨も九官鳥も
ちゃんとそこにある。
3階の教室に入ると
田園を渡る風が抜け
鶏の声が聞こえて来る
僕は、ここでヨガに出会った。
この場所で出会ったから
僕は、ヨガが好きなのだ。
吸って、吐いて。
呼吸を繰り返し、アーサナを深めていくと
鴇色の空が暮れていく。
何もかもが、完璧なのだと
改めて、僕は、教わって、
その深い満足と喜びに、
泣いてしまいそうになる。
身体を横たえ
深い余韻の中で
僕は 遠く 残してきたモノたちのことを思った。
@バトゥール
共鳴すること。
人と人の出会い、人と世界の出会い。
この世界にあるのは、それだけだ。
人と人が出会う時、互いの周波数がチャネリングする。
必要なバイブレーションが響き合い、二人の関係性として表現される。
人と世界の出会いは、内的な起動として経験される。
その場所に行って、自分が何かを感じたのなら、
それは、その場所と自分が呼応しあって、何かが起動されたということだ。
聖なる場所とは、共鳴によって、
自分の中の聖なるものを呼び起こしてくれる場所のこと。
このバトゥール山、もそんな力を秘めた場所のひとつのだろう。
そして、人が旅をするのは
見知らぬ土地で、自分の中の見知らぬ「わたし」を起動するため
なのかもしれない。
***
ヒーリングとは、共鳴である。
ヒーラーが治すのでなく、ヒーラーの持つバイブレーション、
癒しと自己愛と許容のバイブレーションが、
相手の中の癒しと愛と許容のバイブレーションを呼び覚ます。
同じ振動数に、相手を持っていくのだ。
すると、相手は、自分の中のヒーリングプロセス、
ヒーリングプログラムが起動することで、治癒が始まる。
***
@成田
世界を従えよ。
世界に従うのではなく。
世界を変えよ。
自分を変えるのではなく。
習うのでなく、習われるのだ。
あなたが、あなたであること、
そこに確信と信頼を持って、屹立するとき、
それは、おこる。
あなたが、あなたであることに
一切の迷いと、躊躇を捨てたときに、
それはおこる。
自分は、こう生きる。
それで良い。
それが未熟でも、足らなくても、間違っていても、
その日、その瞬間の自分は、そうなのだから。
それを貫けば良いのだ。
その時、きっと世界が
あなたを、必要とするだろう。
ありのままのあなたを、必要とするだろう。
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