家族のテーマ
家族というのは、誰にとっても特別な存在です。
一緒に居て安心する、遠慮せずに話ができる気の置けない関係・・・
でも、多くの場合、それだけではありません。
愛おしくて、恋しくて、暖かい。
同時に、うっとおしくて、苦しくて、許せない。
家族とは、とてもとても複雑なものです。
家族が、複雑で、相反する感情の母体となる理由は、
そこに自分の人生が「潜在」しているからです。
僕らの人生で起きたコト、テーマ、課題や悩みのほとんど全ては、
家族との関係性において生み出され、また彼らから受け継いだモノです。
親との関係性、祖父母との関係性、親族の誰かとの関係性。
それが、自分がその後の人生で創り上げる、誰かとの人間関係にコピーされます。
家族との関係性は「原体験」として、僕らのその後の人生の「雛形」になる。
だから、家族の前に立つと相手の中に、
「自分の中にある「自分で許せない側面」がどうしても見えてしまう。
自分の「原型」に出会ってしまうんですから、とーっても気に障る。
そして、自分を育んでくれた場所への強い愛着が、
強力な感情体験へと僕らをドライブします。
例えば、頑固さや、エリート意識や、支配欲、被害者意識、マイナス思考・・・
だから、気になり、変わって欲しくなり、イライラする。
きっと、それが他の人だったら、
「自分とは違う、考え方をしているな・・・」「世の中には、色々な人がいるな・・・」
で済むことが、家族に対しては、
「何言ってるの!違うでしょ!!!!」と言いたくなる。
全然、許すことができないんですね。
さて、そんなわけで、誰にとっても家族というのは、
自分の深層心理と最も響きあってしまう場所であり、
それはすなわち、自分のテーマが一番わかりやすく見えてくる場所だということです。
家族関係、家族の歴史を紐解けば、自分の人生が見えてくる。
自分が望む人間関係、欲しているもの、苦手なもの、許せないもの・・・
そこには、全ての答えがあります。
さて、僕は、自分の家族を含め、同じ家族内の複数メンバーに対して、
カウンセリングセッションをする機会があります。
その中で、感じているコトがあります。
それは、「あくまで、各自が、自分の人生に向き合うしかない」ということです。
傷つけた側、傷つけられた側、苦しめた側、苦しんだ側がいる場合
(もちろん、現実には、そんな単純な二項対立は、存在しません。
でも、カウンセリングは、あくまで、クライアントの体験をベースにするので、
この様な「片方から見た風景」を仮定して行うことになるのです。)
傷つけられた側・苦しんだ側が、一方的に許すしかないということです。
「全てを許しなさい!」と言っているのではありません。
許す・・・というのは、「傷つけられた側が、自分のテーマとして、
それを引き受け、自分の人生をもって、それを解消する」ということです。
その体験に心の底から納得がいき、そのテーマから解放された時、
結果、相手(傷つけた側)との関係性は変わる。
それは、一段上の地平に立つということです。
その苦しい体験をベースにして、一段上の場所に立った時、
はじめて、人は、許すことができる。
許すのは、あくまで結果なんですね。
では、傷つけた側は何もしなくていいの?
いいえ、そうではありません。
傷つけた側も向き合うことになります。
(もちろん、変化を選択するのであれば・・・です。)
しかし、向き合うのは、「傷つけたコト」ではありません。
「自分が傷ついた日」の体験なんです。
例えば、親が子供の心に深い傷を負わせた・・・というケースの場合。
(もちろん、子供目線で見ている風景です)
子供は、自分の傷ついた経験を自分で癒す事になります。
自分の人生をもって、それを解消していく。
そこに向き合い、自分の中で、また新しい人間関係の中で
自分の心の中の「完了できていない想い」を満たしていくのです。
多くの場合、そこに、親が介在する必要はありません。
一方、親のできることは、「自分の人生に向き合うこと」だけです。
親が向き合うのは、「傷つけたコト」ではなく、「自分が子供の頃に傷ついた経験」なのです。
もちろん、「傷つけたコト」を始発点としても良いのですが
そこから辿り着くのは、「自分の原体験」なんですね。
この「原体験」、子供が体験したモノ(自分が、子供に与えたモノ)と、
ほとんど同じはずです。「原体験」は世代を超えて、伝播するのです。
だから、自分の向き合っているテーマ、自分の抱えている課題は、
自分の「家族史」の共通テーマです。
自分の幾世代もの親族が、長い長い歴史を通じ、少しずつ、少しずつ、解消してきて、
最後に、今、自分に手渡されたテーマなんです。
それに取り組むことを、決めた・・・
だから、今、僕はあなたは、その課題に向き合っている。
そんな風に考えると、テーマに取り組むことの意義がより深く見えてきます。
今、多くの人が、「総まとめ」的に、深いテーマに向き合っているように感じます。
加速する時代の中で、世代を超えて伝播してきた課題を
自分の人生を持って、解消しようと、懸命に生きています。
僕は、そんな皆さんと共に、テーマに向き合い
それを学びに代え、シフトしていけること、
また、そこに立ち会えることを、とても、うれしく思います。
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