自由

思い通りを捨てる時、そこに自由が拓かれる

苦しさは何かが思い通りにならないということから生まれる。 なぜ、こうしてくれない?なぜ、やってくれない?どうして、そんなことするの?なんで、わからない?? 思い通りに世界を動かすという、永久に叶わない夢に、僕らは魅せられている。それを試みる限り、僕らは夢潰え、挫折し、涙の夜を迎える。 それは、それで、素敵なことだ。それがなくては、青春の切ない思い出の多くは体験できなかったろうから。そこには、人生の […]

愛を選択するとき、そこに自由がある

愛を選択できる時、僕らは自由だ。 限りなく自由だ。 恐れの中で、癒えぬ過去の傷のせいで、 僕らは、時に、愛を抑圧する。 助けてしまえば、許してしまえば、笑ってしまえば、 楽なのに、自由なのに、僕らは時に、それを妨げる。 不思議なほどに、僕らは、愛を留める。 それが苦しい。それが、つらい。 僕らは愛の不在に苦しむのではなく、 自らの中に湧き出る愛を留めることで、苦しむんだ。 愛を選択するのなら、そこ […]

常識・非常識 自由に生きるための処方箋

つまるところ、争いや諍いって「あなたは非常識だ!」vs「あなたこそ非常識だ!」に集約される。 電車の中で通話をするなんて、非常識だ!結婚しているのに、他の人を好きになるなんて、非常識だ!子供を置いて出て行くなんて、非常識だ! わたしは正しいけれど、あなたはまちがっている。自分の常識に無自覚に従う時、僕らは、常にこのポジションを採用することになる。 ふたつの道がある。 自分にとっての「非常識」に出会 […]

宗教論:なぜ、僕らは、宗教を持っているのか

今日は「宗教」について、書いてみます。 そもそも、宗教とは、一体、なんなのでしょう。宗教は、人間が「言葉」を生み出したことから、この世界に、誕生しました。なぜ、言葉が宗教を生み出すのでしょう。 言葉とは、ものすごくざっくりと言えば、「名前」のことです。例えば、犬。「犬」というのは、「グループの」名前です。「犬」というのは、ポチとジョンと二郎と・・・無数の、わんちゃんをひっくるめた「総称」なんです。 […]

酸っぱいブドウの木の下で(1)

本当に、自分はやりたいコトをやっているだろうか。誰しも、そんな感覚を持ったことがあるのではないでしょうか。 先日、こんな話を聞きました。彼は、舞台ダンサー。ある日、怪我をして、ベッドで寝ている間にホッとしている自分に気がつき、本当にダンスが好きなのかわからなくなってしまいます。 彼の心に訪れたのは自分は、公務員である両親への反発から、「自由な道」を選んだに過ぎないのではないか・・・「自分は、本当に […]