支援的関係

許すも、許さないもない。

許せば全ては変わるとか許せば楽になるとか、よく聞きますよね。 僕もよく書いていたし、少し前の投稿もそれを結びの言葉にしていたのは記憶に新しい。 けれど、気が付いたんです。それ、嘘なんです。 許したこと、ないんです、わたくし。 なぜかというと「許しようがない」のです。一昨日書いた、パートナーのカバンの中に、じゃら錢とパンツと謎のクリームが混在している現象に出会うのを、日々楽しみにしている状況に、「許 […]

愛とケアネス

当時の僕は、しばらく神奈川の西端、湯河原町の実家に身を寄せて、庭仕事をしながら、思索にふけっていた。このブログも、言葉だけを拾うと、ありきたりな発見の話のように思える。しかし、この小さな発見は、その後の僕の方向性を決定づけたと言ってもいい。 < Commented at 25 of March 2022 愛とは何か?僕にとって、それは、『ケアネス』のことであった。それに気がついたのは、この1 […]

愛と、そこに付着しているもの

愛とは何か。そんな問いを受けて、考えている。 そんな思考の記録。 「いつも自分が愛に囲まれていた。愛されていたんだ!」その気づきは、必ず、どこかで訪れるモノ。 許せなかった自分がいただけ。認められなかった自分がいただけ。本当は、そこに愛があった。 それは、感情の大きな発露を伴う、劇的な経験だったりする。一夜で世界がまるで違って見えることもある。それは、素晴らしい体験にちがいない。 しかし、今日は、 […]