愛の関係性 パートナーシップ

愛の関係性 パートナーシップ

僕らは、素敵な靴を見つける。
それを眺めてる時、僕らは幸せだ。
だから、それが欲しくなる。

念願叶って、それを手にいれると、
しばらくは、満足感に満たされるだろう。
けれどしばらくすると、僕らは不安になる。
誰かに、盗まれやしないか、壊れはしないか。
そして、小さな傷や模様が気に入らなくなる。
気がつけば、幸せは消えてしまった。

パートナーシップ。
いつも、はじまりは、素晴らしい。
共にいるだけで、僕らは幸せだ。
そこに親密さがあり、愛があり、ケアネスがある。

それに惹かれて、僕らは、契約を交わす。
そして、相手を手にいれた途端、不安がやってくる。
相手を誰かに盗られないか。
嫌われないか。
壊れてしまわないか。

そして、相手の些細な部分が、気に食わなくなる。
自分に似つかわしくないとか、
自分が、似つかわしくないとか、思い出す。

これをして欲しい。これは、しないで欲しい。
注文リストは、時と共に長くなり、
しかし、次第に、それらが満たされないことに気がつけば
失意と静かな諦めが二人の間に満ちていく。

友達でいたあの日なら、笑って許せたこと。
素直に言えたこと。
当たり前に助けられたこと。

それが、なぜ、できなくなってしまった?
何が起きてしまった?
あんなに素晴らしかったモノは、
なぜ、頑なさと窮屈さへと変わってしまった?

そこからが、始まりだ。

素晴らしかったあの日を思い、または、新たな出会いの中で
僕らは、きっと気がつくだろう。
手にいれなければ、幸せだったということに。

相手を、自分のモノにしておきたいという欲望。
相手を自分の思う通りにしたいという欲望。
それが、互いを縛りあっているということに。

相手を所有した時、不寛容が生まれ、支配が生まれる。
期待と失意が生まれる。
それに気がついたなら

僕らは、手放し出すだろう。
それは、「近づかない」ということではない。
よそよそしくあれということではない。

まるで逆のことだ。

放てば、手に満てり。
所有を手放した時に、手の中に残るのは「親密さ」だ。
それは、あの日、二人の間に芽生えた、愛とケアネス、親しみそのものだ。

僕らは、気がつくだろう。
独占、所有、執着、それを手放した時に
はじめて、本当のパートナーシップが生まれてくるということに。

ほんの少しでも独占の願望があるのなら、
そこに、無条件の愛は生まれてこないということに。

相手がその人生を最も輝かせ
相手の人生を世界に最も捧げられること、
相手が相手の思うがままに生きることを支援し、祝福すること。

そこに、なぜ、独占が混入しえよう。

相手が世界へ放てる愛のエネルギーを、
「わたしだけ」へと縮減することが、どうして、愛たりえようか。

相手が、誰かを愛し、その関係性から、より深い気づきを得ていくことを
どうして、悲しむことが、できようか。

人は、誰か一人を愛するということを通じ、世界を愛することを学ぶ。
愛の宛先は、固有名詞ではない。
愛とは、限定的対象に与えるモノではない。
愛とは、ひとつの世界に対する共通の態度のことだ。

本当に、一人の人を愛するのなら
その人は、すべての出会いに、温かな親密を見出すだろう。
そこにいつだって、無条件の愛が流れているだろう。
そして、本当のパートナーシップを手にいれるだろう。