物語の外に出る

物語の外に出る

トラウマというものは、本当は、存在しないし、
親子関係の問題も、カルマも、未完了の体験も、存在しない。
僕は、そんな風に考えることがある。

「星座」に似ている。
オリオン座は、そこに「ある」けれど、本当は、「ない」でしょ?
カシオペアも夏の大三角形も北斗七星も、存在しない。

つまり、トラウマというのは、
名指すことができないモヤ~っとした「何か」に、
輪郭線を与えるひとつのアイデアだということだ。

この世界のすべては、言葉でできている。
いや、僕らは、この世界のすべてを、「言葉」を通じて、認識している。

無数にある星のいくつかを選んで、勝手に「オリオン座」と名付けると
もう、「オリオン座」が、くっきりと輪郭線を持って、僕らの世界に現れてくる。

けれど、本当は「ない」よね。
星はある。けれど、オリオン座はない。

同じ。

「何か」はあるけれど、トラウマはない。カルマはない。
親子関係の問題もないし、未完了の感情もない。
愛も、恐れも、ワンネスも、ない。

ただ、そう名付け、そのように輪郭線でくくってみると、
扱いやすくなるということだ。
「何か」のままでは、手をつけられないものに。

けれど、僕らは、それらが本当は「ない」ということ、
「何か」を扱うために作り出されたラベリングでしかないことを
時に、思い出しておく必要がある。

なぜなら、ラベリングによって、むしろ見えなくなることがあるから。

僕らは、オリオン座の隣に光る小さな星のことを見落とす。
トラウマの話に回収することで、シャドーの物語を使うことで
僕らは、本来触れたかった「何か」のことを、忘れてしまう。

この「何か」は、面倒なものだ。僕らは「言葉」でたどり着けない。
それを名付けてしまったら、その瞬間に、僕らは失ってしまう。
ラベリングしてしまうなら、もはや、その「何か」の本質は、
抜け落ちてしまうのだ。
(だって、「何か」とは、ラベリングできないもの のことだから)

伝統的に「何か」は、「神」と呼ばれてきた。ワンネスと呼ぶ人もいる。
「神」というのは、外側のことであり、未知のこと、
唯一、既知化できない存在という記号だ。
理解できないもの、わからないもの、名付けられないもの。
絶対的な他者。
(とラベリングすることで、もう失われてしまうんだけれど)

話がずれてしまった。

トラウマという物語、カルマという物語を使って
見える世界がある。そして、失われる世界がある。

セラピストやカウンセラーは、
ある物語(ラベリング)を提供することで、
クライアントの中の「何か」を本人が扱える形にする手伝いをする。
でも、それは言い方を変えれば、
クライアントが固執してしまっている「物語」を解除するとも言える。

正しい物語はない。
だから、「すべては先祖のカルマ」という物語を通じて、
何かを見つけることもできるし、
同じものを、「抑圧されてきた未完了の感情」という物語を通して
学ぶこともできる。
もちろん、「星の位置関係」としてだって、「オキシトシンの不足」としてだっていい。

けれど、重要なことは、どれも「物語」だということ。
そのことを理解して、技法を、扱う時、
それらは、排他しあうものでなく、互いに補完的なものになるのだと思う。

その人にとって、その時、必要となる、支援してくれる物語は異なる。
そして、「行き詰まり」が意味しているのは、
それまで自分が採用してきた「物語」を、そろそろ出る時だということかもしれない。

新たな物語の中で、”その続き”をきっとやるのだろう。
だから、恐れずに、自分を新たな世界へと拓いこう。
興味のままに、思いのままに!