支配的な関係を、支援的な関係に変える

支配的な関係を、支援的な関係に変える

2013年6月に書いた文章。思えば、この夏から本当の探求の旅が始まった。
もう一度、自分のこと、自分の作ってきた関係性、自分の心のこと、
毎日毎日考え、言葉にし、記録していた日々。
高田馬場の日の当たらないマンションの一室で、暮らしていたあの日々のこと、
あの美しい日々のことを、僕は昨日のことのように思い出す(2021年12月 記)

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ここのところ、色々な出会いや、きっかけから
新しい風景が見えてきました。
しばらく、僕のテーマになりそうなのが
「支配的な関係を、支援的な関係に変えていく」ということです。

もちろん、これまでも意識していたけれど
それがより鮮明になってきました。

支配とは、相手を自分の思う通りにコントロールしようとすること。
支援とは、相手があるがままを認めること。
僕は、とりあえず、そんな意味で言葉を使っています。

思えば、僕は、たくさんの人を「支配」してきました。
僕の友人が、苦労の末、自分の道を見つけ
その知見を持って僕を助けてくれようとした時
僕は、その助けを拒み、その生き方ソノモノを否定しました。

親愛なる同居人が、自分の道を見つけ、勇気をもって進もうとしている時
その道は間違っていて、その先には辛い未来が待っていると脅しました。

もちろん、僕は「善意」によってそれをしたつもりでした。
友人には、もっと楽にゆるーく生きるコトを伝えたかったし
同居人には、道を誤って欲しくなかった。
一番「良い道」を進んで欲しかったんです。

確かに、僕がその時伝えたことは「正しいコト」でした。
でもね、それは、僕が勝手に決めた勝手な幸せのカタチを
押し付けていただけ。僕は、優しい顔した「支配者」でした。

申し訳なかったなー、ホントに、ゴメン・・・

僕は、なんで、そんなコトをしてしまったのか。
それは、不安だったから。
僕は、自分の生き方を「正しい」と思いたかったし、肯定して欲しかった。

だから、自分と違う生き方を見たり、前にしたりすると
自分の生き方が否定された様に感じて
思わず、「アドバイス」・・・と言う名の「批判」をしていたんですね。

だから、それを直接口にしている、いないに関わらず、僕のセカイに対する態度は
「~したほうがいいのに」「~したら、もっと良くなるのに」「~すべきなのに」
というモノでした。

・観念(常識)に従うのではなく、自分の生きたい生き方をすればいいのに・・・
・全ての体験を、自分が創り出した体験として理解し、向き合っていけばいいのに・・・
・自分を解放していく努力をするべきなのに・・・

わー正し~、そして、大きなお世話~
そして、「それやってないの、おまえだよ!」って突っ込みしか思い浮かばないー 
・・・けど、その時の、等身大の僕だったんだから、仕方がない。

さて、話を戻します。
なぜ僕は「自分」が見えなかったのか?
「見たくなかったから」・・・ですね。
僕が、見たくなかったモノ、それは、自分の心の声です。

僕の心は
・支配しないで!あなたの正義を押し付けないで!
 僕の人生なんだから、僕の好きな様に生きさせて!!!
 僕は、時に失敗をしても、自分で自分の生き方を見つけていく。
 僕はそれが、できるんだ!それを、否定しないで!僕を否定しないで!
と叫んでいました。

でも、いつの間にか、そんな自分の声を、封印してしまった。
自分の中の自分の声、自分の感情を、理性が「支配」したわけです。

この僕の中の「支配」構造によって、僕は、自分が見えなくなってしまった。
「心の声」という自分にとっての唯一のリアル、唯一信じられるモノを
見ない様にしているんですから、そりゃ、不安にもなります・・・

僕の心は、解放を求めて、理性をノックします。
その最も効果的な方法論は、実際に支配を受けてみること。
支配を受ければ、自分の感情を、嫌でも感じるコトになります。
だから、僕は、「支配」を受けることを、自ら選択することになりました。

こうして、僕は「支配」進んで引き受け、その度に葛藤することになりました。
みんな、とっても良い人達でした。
みんな、
「須藤くん、成長のために、これをやりなさい」
「須藤くん、人生は甘くないんだぞ。」
「須藤くん、それじゃあダメだ。それじゃあ失敗するぞ」
と教えてくれました。
みんな、正しい在り方、正しい働き方、正しい生き方を、教えてくれました。
みんな、「君のためを思ってなのだ・・・」と言いました。

僕は、怖かった。その善意を否定したら、相手を裏切ることになる。
だから、それに応えなくちゃいけない。
でも、どうしてこんなに、苦しいんだろう??

埋もれていた自分の心の声に気がつくまでに、
長い時間がかかりましたけど、ようやく、見えてきました。

僕の周りには、いつも「支配する」「支配される」という人間関係がありました。
そして、その不毛さ、傷つけあってしまう悲しさ、危うさ、苦しさを感じてきました。

そんな経験があったから、僕は、自分の心の声にも気がつけたし、
より生産的で、互恵的な関係性は、いかにして創られるかを、
本気で考える機会に恵まれた。
ここに導いてくれた、全ての出会い、全ての出来事に感謝です。

さて、だから、僕は、決めました。
お互いが、お互いの生き方を、あるがままで肯定し合える関係を創ること。

僕は、そんな関係性を、いかにして築いていけるだろうか。
そして、誰かが「支配的な関係性」から、「支援的な関係性」への変化を望んだ時に、
いかにして、サポートできるだろうか。

これからしばらく、そんなコトに、向き合っていこうと思います。