善意の支配を受けたら

善意の支配を受けたら

前回、「応援すること」というテーマについて書きました。
応援とは、「求められた時に、選択肢を示すこと」
そして、「どんな選択をしても、あなたを肯定する」というメッセージを贈ること
僕は、そんな風に考えています。

では、そうではなく、
求めてもいないのに、相手から「◯◯すべきだ」「◯◯しなさい」
という指示を受けた時、つまり「善意の支配」を受けた時、
僕らは、どう振る舞えば良いのでしょう。

時に、相手の気持ち、立場、心配や心遣いがわかるからこそ、僕らは葛藤を感じます。
この葛藤から抜け出すためには、
「そのメッセージに、反応した自分」に、フォーカス(注目)することです。

僕らの生活は、様々な「◯◯すべきだ」「◯◯しなさい」に囲まれています。
・はやく、ご飯食べちゃいなさい
・男ならもっとしっかりしろよ
・ちゃんと報告をしなさい
でも、そのほとんどを、僕らは気にもせず、やり過ごしています。
いちいち、腹も立てないし、葛藤もしません。

その中で、ひとつのメッセージだけが「気になった」という場合、
そのメッセージだけが「選ばれた」と考えるしかありません。
「選んだ」のは、もちろん自分です。

だから、始発点は、
 ・自分はなぜ、その一言、そのメッセージを、「気にとめる」ことを選択したのだろう?
と問うこと。

その答えは、そこに「自分の学ぶテーマがあるから」です。

今日は妙に気になった・・とします。
「気になった」というコトは、そこに違和感を覚えたということです。
この違和感に向き合ってみると、自分の気持ちが見えてきます。
例えば、
「いちいち、命令しないで欲しい。自分のコトは自分で決めたい」
とかね。

実はこの
・命令しないで欲しい。自分のコトは自分で決めたい
 という感覚に「気がつくこと」
こそが、この体験を、創り出した「理由」なんです。
僕らは、自分の中から、この「感覚」を導き出す為に
「ご飯を食べなさい」というメッセージを「わざわざ」違和感と共に聞き取ったわけです。

この自分の中から湧いてきた「感覚」こそ、「自分の心の声」です。
僕らは「自分の声」に気がつき、「自分本来の生き方」にシフトするために
必要な「体験」を創り出すのです。

僕らが、時に、自分の本質とは正反対の状況を作ったり、
正反対の言葉を受け取るという状況を創り出すのは、
「違和感」というサインを感じ取りそこから、「本来の自分」を知り、回帰していくためです。
今回のテーマである、「善意の支配」という状況も、もちろん、そう。

さて、最初の問いに戻りましょう。
「◯◯するべきだ」という善意の支配を受けたら、どうするべきか?

答えは、自分の中に生まれてくる「本来の声」を聞き取り、
そちらにシフトしていくことです。
シフトをすれば、その「支配」は、終了します。

例えば、「自分のコトは、自分で決めてこう」と決断してしまい
そういう生き方を始めてしまえば
「ご飯食べなさい」という言葉は、いつも通りの他愛ない会話に戻ります。
もしくは、その様なことを、言われる体験自体が消失してしまいます。

「本来の自分が望んでいた『自分のコトを、自分で決めていく生き方』へのシフト」
という目的が叶ってしまえば、もう、「そのことを気付かせるための経験」を
自分に与える必要は、なくなってしまいますから

あらゆる「体験」は、自分が、自分の「気づき」と「シフト」のために、創り出したものです。
あらゆる「体験」は、目的を持って、自分が自分に与えたモノです。
だから、「必要のない体験」が、作られることはありません。

「善意の支配」は、自分に回帰するチャンスです。
自分の「気づき」と「シフト」の機会として、メッセージを聞き取っていくこと。
本当の自分に戻っていくための、原動力として使っていくこと。

それは、自分が持って生まれた最高のパフォーマンスを、最も発揮できる場所への
最短ルートを示す、道標なのです。